ハーフ社会保健士のお役立ち図書館

誰て知って得する制度をお伝えしていきます。

派遣社員への登録

早期退職制度に応募しました私は、正社員での就業実績が4年あり次の仕事もすぐ見つかるだろうと思っていました。 しかし、これが地獄の始まりでありました。

 

まず転職サイトに応募しましてもほぼ書類選考落ちで、書類選考通ったのが条件が悪く、口コミサイトでも悪評が凄いところばかりでした。

 

だいたい一か月に50件応募してで書類選考が通ったのが6件、受験面接までたどり着けたのか2件前後です。

 

正直この選考が通った2件は、誰が応募しても書類選考が通るブラック企業だと思います。なんだかんだ転職活動を7ヶ月続けていました。しかし、 全くと言っていいほど、希望にかなう条件の会社がなく、希望条件の会社があっても書類選考で落とされてしまうという負のスパイラルに陥っていました。

 

貯金もそろそろ厳しくなったので本気で働かなくてはと思い、とりあえず派遣社員で働きながら正社員になるため転職活動をしようと考えておりました。

 

初めて派遣社員に登録しましたが、システム的にはまずパソコンスキルのテスト、 その後にコーディネーターによる希望条件や軽い面談などが行われました。

 

私はここですごく衝撃的な事を経験しました。 コーディネーターという職業の方が希望条件を聞いてくるのですが、全くと言っていいほど希望にそぐわない案件ばかり出され、言葉は悪いのですが、日本語を理解できているのか分からず、若い女性であれば誰でもなれる職業かなと率直な感想を持ちました。

 

具体的には、勤務地が自宅から会社まで50分前後と伝えたのに 紹介してきた案件は通勤時間1時間50分でした。最初はこれしか合う条件がなかったのかなと思ったのですが、さすがに毎日片道1時間50分後通勤は厳しいので他にも案件を紹介してほしいと伝えました。

 

次に紹介してもらったのはさらに衝撃的なのかもはや違う県の案件を紹介してきました。もはやここまでくると違う担当をお願いしたくなり、他の担当にしてもらいました。念のため伝えておきますが、ここでは日本で有名な大手派遣会社です。

 

違うコーディネーターを紹介してもらいましたが、この方も同じようなタイプで正直私も堪忍袋の緒が切れ、しかし、ここで怒ったら仕事を紹介してもらえないと思い良い仕事があったらメールしてくださいと伝え帰りました。 

 

次に行ったのが同じく大手派遣会社で、期待しないで行ったのですが、ここは前の会社と比べ30代前後の女性コーディネーターでしたが、少し話しただけで教養と理解力の高さを感じました。

 

ここでは希望条件を伝えそれに80%前後の仕事を紹介してもらえ、気になりました求人があり、実際現場まで赴きここで働きたいなと思いました。

 

実際応募してから内定するまで4日もかからなかったです。ちなみに外資系の倉庫で時給は1400円でフォークリフト作業です。ここで就業するようになってまず初めに驚いたのが、様々な外国人と東大や慶応を卒業した人がたくさんおり、とてもレベルの高い人達ばかりで私の人生にとても影響を受けたところでした。

 

私は倉庫でもフォークリフト作業員でしたが、こちらも倉庫では自社倉庫で海外との貿易を通じて商品を輸出入し販売や営業まで出かけていました。

 

26名と小さい会社でしたが、商品の在庫管理を任されていましたが、現場作業だけではなくパソコン作業や関係部署とのやり取りもしており、そのおかげで様々な部署との方と話す機会がたくさんあり



営業,貿易,購買,経理,マーケティング,人事総務,カスタマーサービス,物流など世の中にはたくさん仕事があるのをここで学びました。

 

こちらでは3年程働いた後、会社が違う県に移転するということで私自身引っ越せないという事で退職いたしました。 違う県に移転する話を頂いたのは半年前で私自身ここでたくさんのことを学び、また様々な職業やレベルの高い人達考えに触れて次は派遣社員ではなく正社員で働きたいなと強く思いました。

 

実はこの時同じ派遣社員がいたのですが、その方が警察官の試験に合格し問題集を私にくれました。この時初めて警察官に挑戦できるんだと思いました。

 

警察官目指したが、衝撃的な事実が発覚に続く→

 

仕事が見つからない

無事に専門学校卒業したが、社会に出て一番初めに困ったのは世の中には何の仕事があって、 何がやりたいのかわからなかった。

 

学校卒業間際に先生から就職の指南や学校に 企業から求人が来ている物を見たが、どれもやりたいものもなく、興味がわかなかった。

 

今を振り返ってみると、興味がなかったのではなく自分自身の知識の無さから仕事のイメージが出来なかったのか正直なところである。

 

こうして学校を卒業してもしばらくフリーターを続けたが、 同級生は大手企業や自分のやりたいことをやってるように見えて、とても輝いて見えた。

 

当時大手企業に入った同級生に聞いたら、TOEICで900点や学生時に企業研究をしっかりしており、将来自分がやりたい仕事イメージできたと言っていた。

 

この時、 考えの甘さに嫌になったのを今でも覚えている。しかし、現実は時間を巻き戻せるわけでもなく未来に進んでいくしかない。

 

少しでも自分を変えるためにフルタイムの仕事を探したが、当時は工場勤務しか見つからなかった。とりあえず、工場勤務でもいいので自宅近くの会社に就職した。

 

この工場は自動車部品を扱う工場で大手自動車メーカーの下請け会社の大元で従業員は500名以上おり常に忙しい状態であった。私自身もこちらで四年ほど働いていた。

 

実際に働いてみると単純作業だかとても奥深い仕事で、私自身もコツコツと仕事をするのが好きで、 とても性に合っていた。気がつけば四年ほど経ち、ずっとこのまま働いて行くのかなと考えていた。

 

しかし、現実とは残酷なもので私自身の思い虚しく、2009年にリーマンショックが起き、会社では早期退職制度を募集し、事業縮小やワークシェアリングで徐々に人が減り、 会社に出社しても朝から掃除だけの日々など続いていた。

 

こうした現状から、いつ業績は回復するのかも不透明であるし、 また職場内は週ごとに一人また一人と従業員が減っていき、みんなも自分自身を守るために、同僚とは話さずにギクシャクしていた。

 

最終的に私も早期退職制度に応募し退職した。しかし、これからが本当の地獄の始まりであった。

 

退職後は地獄のスタートに続く→



高校卒業後の進路

私は高校3年生になる頃、両親と学校の先生の間で今後どうするかを話していました。

実際私自身も高校卒業して大学行っても何をしていいのか分からず、実際のところ働こうと思っていました。

 

両親からは日本は未だに学歴社会で、 いくら優秀な人でも高卒と大卒では生涯賃金が2億以上の差が出ること。また、今は終身雇用が徐々に崩れてきて一カ所で長く働く方が珍しい時代になってきている。

 

その時に転職では高卒というだけで人事フィルターに引っかかり落とされる。これはいくら正論を言っても社会の構造上仕方のないことである。つまり、社会で働くには理不尽なシステム、郷に入れば郷に従えである。

 

この時ばかりは私自身も納得がいかないことは確かだったが、社会経験もアルバイトしかなく社会の構造を全体を把握していなかったので素直に両親と先生の話を聞き、専門学校に入った。

 

なぜ専門学校かと言うと、私自身早く社会に出て経験を積んで働きたかったと、正直なところ家庭では裕福なほうではなかったので、学費はアルバイトで貯めたお金で支払ったのでお金がないことが正直なところであった。

 

無事専門学校を卒業して、社会に出たが苦難の連続であった。

 

専門学校卒業後続く→

 

私のこれまでの生い立ち

私は神奈川県横浜市で生まれました。父親は香港人で、母親は日本人です。

当時、私は日本語と中国語を学ぶインターナショナルスクールに在籍していました。

ここでは一クラス30人で日本人が半分、外国人が半分の私立学校です。
授業は主に日本語で進めていきますが、その中で先生はネイティブの外国人で中国語や英語の授業もありました。

私自身成績は下から数えた方が早い方で、暗記が得意でしたが、数学がとても苦手でした。

また私自身は当時卓球部に所属していて、県大会まで出場しました。今は社会人として、
前の会社の同僚と卓球を通じて汗を流しています。

もう一つ学生時代にハマっていたのがゲームです。当時はポケモンドラクエが主流でした。私はポケモンのレッドで裏技を使ってミュウを出すのかすごく楽しかったです。
またその後、任天堂64でスマブラマリオカートにはまっていました。

高校生になり、主にバイトに明け暮れていました。
たくさんのアルバイトをした経験があります。主に接客業ですが、ファーストフード、コンビニ、 ファミレス、カラオケなどしておりました。

初めて社会で、自分の力で働いてお金を稼いでたくさんの経験を得ました。また、 同時に学校とは違う社会を勉強しました。

一番衝撃的だったのは、いつもは同学年の同級生とだけ話していた会話が、年代の違う人と人と話すとたくさんの知識や知恵また話し方なども勉強できました。

この頃から私は同級生と話してもあまり楽しく思えなくなりました。なぜなら、 大体の会話は恋愛の話、ゲームの話、テレビの話ばかりでつまらなかったからです。

社会に出ると一番のメリットは、自分がモデリングする人物が身近にいることで将来どう言った考えやどういった行動をとるのかが参考になるからです。

例えば、当時私が高校生だった頃、大学生の方に 高校卒業する時に社会に出て働くか、それとも大学に入って勉強続けるのか質問をしたことがあります。

ここで衝撃を受けたのは、大学に行くという選択をした人で、実際に大学に行くのは勉強するわけではなく、 まだ就職をしたくないからとりあえず大学で学生生活を伸ばすということ言われた時です。

私自身学校では先生に大学は勉強するところ、親にも大学は勉強するところ、と口酸っぱく言われてきましたので、まさかこんな考え方ができるとは思いませんでした。

この頃から私は学校で習ったこと、家で言われ続けたことに疑問を持ち始めました。
なぜ今までこんな考えができなかったかと言うと、理由は簡単でいつも接する相手が学校の先生と親の考え方だけだったからです。

しかし、 社会では色々な人がおり、 十人十色の考え方が あります。

高校卒業後に続く→