ハーフ社会保健士のお役立ち図書館

誰て知って得する制度をお伝えしていきます。

私のこれまでの生い立ち

私は神奈川県横浜市で生まれました。父親は香港人で、母親は日本人です。

当時、私は日本語と中国語を学ぶインターナショナルスクールに在籍していました。

ここでは一クラス30人で日本人が半分、外国人が半分の私立学校です。
授業は主に日本語で進めていきますが、その中で先生はネイティブの外国人で中国語や英語の授業もありました。

私自身成績は下から数えた方が早い方で、暗記が得意でしたが、数学がとても苦手でした。

また私自身は当時卓球部に所属していて、県大会まで出場しました。今は社会人として、
前の会社の同僚と卓球を通じて汗を流しています。

もう一つ学生時代にハマっていたのがゲームです。当時はポケモンドラクエが主流でした。私はポケモンのレッドで裏技を使ってミュウを出すのかすごく楽しかったです。
またその後、任天堂64でスマブラマリオカートにはまっていました。

高校生になり、主にバイトに明け暮れていました。
たくさんのアルバイトをした経験があります。主に接客業ですが、ファーストフード、コンビニ、 ファミレス、カラオケなどしておりました。

初めて社会で、自分の力で働いてお金を稼いでたくさんの経験を得ました。また、 同時に学校とは違う社会を勉強しました。

一番衝撃的だったのは、いつもは同学年の同級生とだけ話していた会話が、年代の違う人と人と話すとたくさんの知識や知恵また話し方なども勉強できました。

この頃から私は同級生と話してもあまり楽しく思えなくなりました。なぜなら、 大体の会話は恋愛の話、ゲームの話、テレビの話ばかりでつまらなかったからです。

社会に出ると一番のメリットは、自分がモデリングする人物が身近にいることで将来どう言った考えやどういった行動をとるのかが参考になるからです。

例えば、当時私が高校生だった頃、大学生の方に 高校卒業する時に社会に出て働くか、それとも大学に入って勉強続けるのか質問をしたことがあります。

ここで衝撃を受けたのは、大学に行くという選択をした人で、実際に大学に行くのは勉強するわけではなく、 まだ就職をしたくないからとりあえず大学で学生生活を伸ばすということ言われた時です。

私自身学校では先生に大学は勉強するところ、親にも大学は勉強するところ、と口酸っぱく言われてきましたので、まさかこんな考え方ができるとは思いませんでした。

この頃から私は学校で習ったこと、家で言われ続けたことに疑問を持ち始めました。
なぜ今までこんな考えができなかったかと言うと、理由は簡単でいつも接する相手が学校の先生と親の考え方だけだったからです。

しかし、 社会では色々な人がおり、 十人十色の考え方が あります。

高校卒業後に続く→